一日一歩の足跡帳、二人三脚の一挙手一投足(記録簿)、三者三様・喧々諤々・侃々諤々、夢支援の覚書、日々の歳時記、一期一会の備忘録、運鈍根の日々是好日、平々凡々な日々、悠々閑々な日々、時々刻々な日々
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土曜日。

夕方、一時激しい雨が降って、もしかしたら延期かも?
と思ったけれど、早くあかって、良かった。

まだ明るいうちに、
「今日、花火大会やるよ!」の合図と思われる花火の音。

今年も、家の二階から観ることに。

不況のせいか、いつもより遅い時間から
「短期集中型」で花火が上がる。上がる。上がる。


夏祭り・花火大会・盆踊り~♪本格甚平で気分出して!【ベビー甚平・和風オールストライプとんぼ柄】シンクビー(think-b)

雲が時折邪魔をする。


もう終わりかと思って部屋の灯かりを点けると、また上がる。
電気を消して、今度こそ終わりかと思うと、また上がる。

窓の外から観る「花火」。

tomo(母)と病院で観た「花火」を思い出す。

中部地方の某病院の屋上で観た花火。
滋賀県に戻って病院の窓から観た花火。

3度目の花火を観ることはできなかったけれど。

雲は居座り、上手に花火の光を妨げる。


【送料無料選択可!】精霊流し / 邦画

去年のあなたの想い出が
テープレコーダーからこぼれています



もう、亡くなってから三年近くになるというのに―
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丁度、三年前。入院先の病院で、母(tomo)が真っ白になってしまった。


母(tomo)が生前、教えてくれたこと―――

【我慢】感情や欲望のままに行動するのを抑え堪え忍ぶこと。辛抱すること。

【勤勉】一生懸命に精を出して励む・こと(さま)。

【倹約】金や物を無駄遣いしないように努める・こと(さま)。

【根気】一つのことを長く続けて行う気力。こん。

【努力】心をこめて事にあたること。骨を折って事の実行につとめること。
    つとめはげむこと。

【質素】つつましい・こと(さま)。虚飾のないさま。

【情熱】激しく高まった気持ち。熱情。

【信頼】信じて頼ること。

【素直】飾り気がなくありのままであるさま。

【諦観】全体を見通して、事の本質を見きわめること。 悟りあきらめること。

         「大辞林 第二版」より


教訓

【合縁奇縁】不思議なめぐり合わせの縁。人と人とが互いに気心が合うかどうかは、
      みな因縁という不思議な力によるものであるということ。

【温故知新】前に学んだことや昔の事柄をもう一度調べたり考えたりして、
      新たな道理や知識を見い出し自分のものとすること。

【勧善懲悪】善良な人や善良な行いを奨励して、悪者や悪い行いを懲こらしめること。

【虚心坦懐】心になんのわだかまりもなく、気持ちがさっぱりしていること。
      心にわだかまりがなく、平静に事に望むこと。また、そうしたさま。

【質実剛健】中身が充実して飾り気がなく、心身ともに強くたくましいさま。

【泰然自若】落ち着いていてどんなことにも動じないさま。

【報本反始】天地や祖先などの恩に報いること。人が天地や祖先など、
      存在の根本に感謝し報い、発生のはじめに思いを致すこと。

【有言実行】口にしたことは、何が何でも成し遂げるということ

【和顔愛語】和やかで温和な顔つきや言葉つき。穏やかで、親しみやすい振る舞いのこと。


【和衷協同】心を同じくして共に力を合わせ、仕事や作業に当たること。

   三省堂提供「新明解四字熟語辞典」より


新明解四字熟語辞典」より

教えの半分も身につけられていない。
遺憾千万(非常に残念で仕方ないこと。心残り)です。
ごえんさんがバイクで我が家に。

母(tomo)の命日直前のお逮夜参りに。


【レコード・EP盤】(中古) 円広志/夢想花

あっという間の三年。

の話のはずが、

話があちこちにとんでとんでとんで

話を戻そうと
話をまわってまわってまわるぅ~も、

再び話がまわってまわってとんでとんでとんで~


【送料無料選択可!】INNOCENT / 円広志

それと、母(tomo)の姉の葬儀の時、
ご縁さんには声がかかってないとのこと。

暑い日の寒い話。


キングレコード 円広志/ポプコン・マイ・リコメンド 円広志

忘れてしまいたいことが


今の私には多すぎる





私の記憶の中には





笑い顔は遠い昔



真鍮製 水差し夢想花(ゴールド) 300cc


素直な気持を あなたに



    伝えるすべを 知っていたなら


        今は静かに 心を閉じて


  夢の中へ とんでゆくわ



夢想花
早いものです。
あっという間です。

ごえんさんの嘆き―

 最近、仏花の造花が増えたそうな。
 蝋燭も電気になり、、、


【人気商品!!】仏花

叔母の葬儀の割り当ての知らせが。

 ゲゲゲッ

ビックリするほど高額です。。。

 しきび + 生花 + 盛り籠 + ごえんさん?


はてさてどうしたものか。


葬儀するべきこと・進め方
 9時 集合

10時 出立


白衣(はくえ)死出立

11時 親族の写真撮影

12時 告別式

13時 出棺


フューネラルW-35(即日発送可能アイテム)☆お供え 枕花 仏事 命日 葬儀 法要 お盆 お彼岸告別式 慶弔花としてのお悔やみのお花として !!

16時 骨上げ

    初七日

17時 仕上げ(近所、そして、親族)


tomoの母、tomo自身の葬儀の際は激しい雨の日でした。
tomoの姉は通夜式、告別式とも晴天で暖かい日でした。

tomoの母と、tomoの姉とtomoが天国で再会する日が少しずつ近づいています。
tomoは田舎の出です。自宅葬です。


★PP762 おくりびと~on record~/久石譲この町では、「自宅葬」が普通です。

近所の方が大勢集まって、てったい(手伝い)をして頂けます。

早朝、tomoの姉の長男宅に集合。

「死に化粧」を観て、納棺を手伝う。


おくりびと / 本木雅弘

tomoはtomoの母親に顔がそっくりだと想ってましたが、
tomoの姉とも似て来ていたんだと感じました。
DNAのチカラを身近に感じています。


愛のDNA

長男宅の荷物移動、庭を含め清掃、、、

そして、通夜式。
ぎゅうぎゅうづめの部屋。
5月半ばにしては例年よりも暖かい。
更に人の熱気で熱くなる。
お焼香の煙でむせる。

明日も早い。夜9時前に自宅に向かう。
夜、8時過ぎ。
遅い食事中。
tomoの妹から電話が。

tomoの姉が病院で亡くなった知らせ。


急な訃報にも慌てなくてすみます・・・きちんとした物が一つは欲しい☆レースコンパクトフォーマルバッグとふくさのセット 【pt090501】

身支度をして、tomoの姉の長男宅を訪れる。
tomonoの姉が病院からtomoの姉の長男宅に届く。

葬儀の打ち合わせが始まる。
午前1時半ば、終わる。

帰宅して入浴して、明日・明後日に備える。


訃報は午後二時に届く
【腰痛】三日目。

初日に比べてずいぶんマシにはなってきています。

薬のせいもあるでしょう。

時が経てば和らいでくるのでしょう。

でも痛い。


母(tomo)想う。

母(tomo)は、toshiの痛みの何倍もの【痛み】を
四六時中感じていたに違いない。

しかも、段々回復していくのではなく、

ずっと同じ【痛み】を。

痛くて痛くて痛くてしょうがなかったでしょう。

母(tomo)は偉大なり。

※本来なら、大事な更新のため、推敲したいところですが、
 頭が眠っているので、整理・見直しせず思いつくまま記します。

sanaが初風邪で、町医者さん(toshiのかかりつけ医)に連絡するも
『お盆休み』に入っておられてアウト!
他の町医者さんも『お盆休み』の可能性が大きいので、

母(tomo)が大怪我して担ぎ込まれ入院、手術した、
【救急病院】に行った。
町医者(かかりつけ医)の紹介状がないため、
初診料に加えて、2,100円が余分にかかった。

そこで、待ってる間、2人の『看護師』を見かけた。

ひとりめの『看護師』さん。

 ずっと以前(平成11年頃)、父(shige)を夜間に連れて行った時の『看護師』さん。

 父(shige)が、夜に突然、初めて体が動かなくなって、
 「救急車を呼ぼう」って言ったら、「近所の人にわかって目立つから止めてくれ」と
 言われて、マイカーで連れて行った。
 「いつ死んでも構わない」と普段口にしていたけれど、
 この時は、「死ぬ、死ぬ」を繰り返し、余程死にたくなかったようだ。
 こう言った緊迫した中、至って冷静に対応して頂いた当時若手の『看護師』さん。 
 大事にならず、この時はそのまま家に帰ることができました。

 少しお年を召されたようですが、変わらずしゃきしゃきテキパキ動いておられました。

ふたりめの『看護師』さん。

 母(tomo)が大怪我をして入った最初の病院。
 ICUを経て、整形外科に移ったときの『看護師』さん。
 担当ではないけれど、どちらかというと厳しい方だけれど、
 次の病院を探すとき、

  「tomoさんは、ちょっとでも手足が動くし勿体無い。
   リハビリの専門病院に行ったらどうか」

 とすすめてくれた『看護師』さん。
 松葉杖を持って、足早に通り過ぎていかれました。

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 母(tomo)は、【四肢麻痺】ですが、【不完全麻痺】でした。
 即ち、首から下は麻痺してしまっているが、
 感覚は残っており少しだけ動かすこともできる。
 実はこのことは、とても大変なことだったのです。

 【完全麻痺】であれば、全く動かない。動く可能性もない。
 しかし、痛みは伴わない。
 よって、本人が気付かない間に、『じょくそう(床ずれ)』を
 起こしてしまうこともあり、こうなると大変です。

 ところが、【不完全麻痺】の場合、あながち少し動くだけに、
 もっと動く可能性もなくはない。という希望がある代償に、
 感覚も生きているので、非常に痛みを伴う。
 痛み止めの薬がなければ四六時中呻(うめ)いている。

 おっと、この辺については改めて書くことにします。

 イズレニシテモ、重症患者で、そう大きな改善が見込まれない場合、
 次の病院の選択肢が非常に狭まります。

 【医療制度】の問題により、長く入院できず、病院を転々としなければならない。
 『回復期リハビリ病院』と言って、受傷後6ヶ月以内でないと入らせてもらえない病院です。
 つまり、受け入れてもらえない。

 云々・・・・(いろいろ書きたいことがあるけれど、収集がつかないのでこれにて終了)


 母(tomo)にとって、2つ目、3つ目の『リハビリ病院』で
 過酷とも言えるリハビリを受けました。
 そのことを、母(tomo)は、後の病院でも後悔どころか大変喜んでいました。
 わざわざ、県外、しかも馴染みの薄い中部地方に行っての格闘でした。

 『リハビリ病院』と同レベルのリハビリを通常の病院では受けられないのが現状です。
 それは仕方のないことではあるけれど、、、、

 「ゆっくりと坂道を下っていこう」と思っていました。
 事実、『リハビリ病院』をピークにその後、手足の動きは良くはなれませんでした。

 「何もしなければ大きく後退する。それだけは嫌だ。」とtomoは常々言ってました。
 だから、「ゆっくりと坂道を下っていこう」と。

 残念ながら、急な坂道を転げ落ちていってしまったけれど。

 別の選択肢もあったかと思われます。『リハビリ』を諦め、『療養』に徹することができれば。

 『リハビリ』は決して楽なものではありません。とても苦痛なものです。
 でもそれを続けるのは、“回復”を望むからであり、期待できるからこそです。
 “回復”を強く望むけれども、期待できない。
 やれどもやれども成果が出ない、それを実感したときの“失意”の大きさ。

 母(tomo)が何故、志半ばで死ななければならなかったのか?



 っと、支離滅裂です。ここいらで一旦終了。いつかまた会う日まで。
母(tomo)は、【花】好きでした。

以前住んでいた家は、縦長の敷地で、
前が【店】と2階がtoshiの【部屋】
奥が両親の【部屋】と【キッチン】。

前と奥の家の間に【中庭】。
奥の家の奥に【裏庭】。

【庭】には沢山の【花々】が植えられていました。
【花】に然程関心が持ててなかったtoshi。
【花】の世話をどうすればいいのか分からない。
母(tomo)が入院してから、
すっかり放ったらかしてしまって、
随分枯らしてしまいました。

母(tomo)が亡くなり、新しい【家】に移って、7ヶ月。
相変わらず、【花】の知識はないものの、
【花】を観て楽しむ余裕は少しだけできました。

母(tomo)が好きだったからと、
妻(sana)が【家】を、【花】でいっぱいにしてくれています。

【花】の名前は、分からないことが多いけれど、
【花】の“生命力”や“美しさ”そして“移ろひ”を
感じる今日この頃です。
toshiは、以前住んでいた町の
歯医者】さんに通っている。

sanaは、tomoが最後の病院に入院中に通っていた
歯医者】さんに通っている。
sanaの通う【歯医者】さんに、
sanaの診察時間と、
toshiの仕事の終わり時間とがほぼ同じになったので、
立ち寄った。

tomoが車椅子に乗って、何度か通った【歯医者】さん。
スロープはあるけれど、通常の『車椅子』ではなく、
重装備の『チルト車椅子』のため、ドアの行き来に
苦心した。
ちょっとでも当たると、衝撃が走るから気をつけて気をつけて。

幸い病院の近くに、いい【歯医者】さんがあってよかった。
今日も合い間を縫って、【ドライブ】【デート】です。
1~2時間かかると想ってたことがなかったためです。

■希望が丘公園
■竪穴式住居

そして、フランス料理店で、

お誕生日特別コース

 ◆前菜:バースデー前菜盛り合わせ
 ◆ミニグラタン:菜の花のトマトクリームペンネグラタン
 ◆主菜:toshi→ニュージーランド産ビーフハンバーグステーキ
        フレッシュマッシュルームの和風クリームソース
     sana →漁師が獲った真いわしのオーブン焼き
        国産農園バジルとガーリック風味
 ◆デザート:ヘーゼルナッツアイス
 ◆パン:5種類以上の自家製パン(お替わり自由)
 ◆飲み物:toshi→レモンティー
      sana →コーヒー

以上で、一人たったの税込2,100円!!

本状を送らせて頂いたお客様とご同伴の方、何名様でも
限定メニュー・限定価格」でした。

とっても“幸せな時間”でした。

tomo(toshiの母)の【誕生日】に頂いたDM葉書のお陰です。

本当はも一度、tomoを連れて来たかたった。
普段、質素な生活のtomoに、
幸せな食事”をして欲しかった。
朝から、弟(aki)が『お供え』を持って来る。
お経さんをあげて、世間話をして帰った。

母(tomo)が昨年7月15日に亡くなって、
まもなく一年になる。

母(tomo)の【一周忌】は父(shige)の【三回忌】と一緒に
この4月に行ったので、今回、人を集めて何かをする訳ではない。

早いものだ。慌しく『時間』が過ぎて行ってる。

告別式】の挨拶で、泣きながら、
闘病記』を出版すると宣言したのに
まだほとんど書いていない。

母(tomo)は天国で、今のtoshiやAkiを見て
どんな風に想ってるんだろう。

またいつものように、

 自分のことより、周囲のことを
 心配ばっかりしてるんじゃないか?

と想うと、悲しくもあり嬉しくもあり。

母(tomo)を安心させる日がいつ訪れるやら。

精進、精進、、、
荷物整理をしていたら、
母(tomo)が鉛筆書きしたレポート用紙が出てきた。

-----------------------------------------

ライフデザイン ライフプラン ファイナンシャルプラン
経済資産 ファイナンシャル資産

 くらし

(1)これからの時代、価値ある資産

  ○精神的豊かさ資産
  ○知的技術文化資産
  ○人的資産
  ○健康資産
  ○環境資産

-----------------------------------------
Date 15,10,16 とある。
すなわち、交通事故の3日前の日付である。

母(tomo)は、若い頃、
当時、『男女共学』が始まる時で、
女に知恵をつけさせたらあかん
とかいう理由で、

本人は「勉強したい。進学したい。」と
強く想っているニモカカワラズ
強く親に反対され、
上の学校にやらしてもらえなかった。

そのためか、晩年、精力的に、
様々な『勉強』の機会に足を運ぶようになった。

70歳ほん手前の老人が、である。
活き活きと、前向きに生きようとしていた。
貪欲に知識・知恵・情報を身につけようとしていた。

胃癌(進行癌)』を見事に克服し、
新たな人生を歩み始めていた。

その矢先、あの大事故に見舞われた。
画家、及川武頼の新作(名画4点セット)は、『花鳥風月』を表している。

 1作目 「紅蓮」 → 
 2作目 「金色」 → 
 3作目 「純白」 → 
 4作目 「青嵐」 → 

だけどホントは、「青嵐」は、養父で同じく画家の神原晴仁が描いたもの。

神原晴仁は風景画で有名だけれど、10年前に手を傷めて以来、
筆を握らなくなったという。

殺害された神原晴仁の左手の親指の付け根には楕円型の跡が残っていた。
筆を握れない神原晴仁は、筆を口に加えて絵を描いた。

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フィクションの世界だけではなく、実際に手指が不自由な人が様々な
工夫によって、絵を描いたり、字を書いたりしている。

頚椎損傷で手足が動かず、口に筆をくわえて絵や文字を描かく
星野富弘さんの絵はとてもやさしい。

頚髄損傷のtomoはバランサーという器械に加え、
OT(作業療法士)さんの様々な工夫によって、
何とかかんとか、絵や文字を描いていた。
タブレットを使ったこともある。

パソコンで、日記を綴ったこともある。
音声認識ソフトで、日記を話したこともある。

「水墨画」「切り絵」「絵手紙」それに「俳句」・・・
tomoは事故以前はこういったことに一所懸命だった。
さぞ悔しかったろう。想い通りに動かない身体、手足、指、、、

   伝えたいことが沢山あったろうに。

胃癌』のときには、手術前に、万が一に備え、
夫(shige)に、長男(toshi)に、次男(aki)に、、、
渾身の力を込めて【遺言】となる手紙を書いた。

頚髄損傷』になってからは、もちろん、
こんなに早く亡くなるとは、本人も周囲も想っていなかったから、
遺言】は遺されていない。
それどころか、【最期の言葉】すら聴けていない。

   伝えたいことが沢山あったろうに。
tomo(母)が亡くなる2ヶ月程前から、39度の熱が出たり下がったり・・・

きっと、しんどかったんだろうな。

なのに、見舞いに行くととても嬉しそうだった。
tomoの葬儀の【盛り籠】が町内や親戚等に配って配って随分片付いた。

残っているのは、缶ジュース、缶詰、そしてカップめん類。
これらはtoshiの食の“たし”になる。

目を引いたのが、

 日清焼そば」(香れ!粉末ソース 旨し!液体ソース のソース焼そば)

見慣れた“顔”・・・ それは、即席めんの「日清焼そば」と同じだからだ。
見慣れない“形”・・・ 日清の焼そばと言えば、「UFO」だ。しかしこれは丸くない。他メーカーと同じく四角い。

この商品のポジション? いつ頃からあるんだろう? CMってどんなだ? 「UFO」との違いは?
考えると夜も眠れなくなるので(冗談ですが)、

 日清食品 http://www.nissinfoods.co.jp/

のホームページを覗いてみた。便利な世の中だ。


日清焼そばカップ ソース焼そば 565kcal 希望小売価格:オープンプライス 発売日:2006年03月 リニューアル日:-

な~んだ、最近なんや。toshiが知らんてるだけという話もなくない。

 折角なので、他も少しだけ観てみた。

 カップヌードル  364kcal 希望小売価格:155円(税抜) 発売日:1971年09月 リニューアル日:-

 日清焼そばU.F.O. 574kcal 希望小売価格:155円(税抜) 発売日:1976年05月 リニューアル日:2006年03月

 チキンラーメン  381kcal 希望小売価格: 90円(税抜) 発売日:1958年08月 リニューアル日:2003年05月

 出前一丁     468kcal 希望小売価格: 90円(税抜) 発売日:1968年02月 リニューアル日:2004年08月
 
日清焼そば    490kcal 希望小売価格: 90円(税抜) 発売日:1963年06月 リニューアル日:-


カップヌードル 35周年 ・・・ 今も昔と変わらない味
UFO     30周年 ・・・ 今年リニューアルされた

食文化』に与えた影響は大きい。

toshiは、チキンラーメン が好きだ。チキンライス(歌)も好きだ。
高級食材を使った高級料理よりも、身近な食材を使った普段料理が好きだ。

       『チキンライス

          歌 :浜田雅功と槇原敬之
          作詞:松本人志
          作曲:槇原敬之
後ろ向きに“振り返る”のではなく、
前向きに、前に進むために、あえて“振り返る

前を向いて、しっかりと一歩一歩前に進むために、
日蔭(ひかげ)ではなく、日向(ひなた) をあえて選んで歩く
たとえ雨が降ろうが、嵐が吹こうが、突き進む
上を向いて、お日様に向かって力強く
よりよく生きるために――


 心のBGM 『追伸』『掌』(グレープ『せせらぎ』より)
最も自宅に近い病院 ・・・・・ これだけが魅力でした
最も簡単に入れる病院 ・・・・ 待つことなく入れる。これも魅力と言えなくもないけれど…
最も評判のよくない病院 ・・・ 「長生きできない」と世間では言われている
最も高くつく病院 ・・・・・・ 保険外に沢山お金がかかる、一般病院ではとられないものも…
最も入院したくない病院 ・・・ 「ここに入院していると殺される」と元気な患者さんが転院していく

中部地方のリハビリに強い病院(2)(3)には、toshiも付き添いで行っていた。
相手のある仕事(企業訪問や学校の授業)の時だけ、滋賀県に帰るという風で、
多くはtomoの傍で過ごした。

滋賀県に帰って、県内の療養型病床群(4)に入った時は、近いとは言え市外。
仕事で週2回近く迄行くので、その時はtoshiも食事介助→リハビリを行っていた。
しかし、なかなかその日以外には行くことが出来なかった。
あまり行けなかったから、寂しい思いをしていただろうけれど、
(2)(3)の病院でできていたことは、そのままできていた。

ベッドの上、椅子の上での【座位】訓練。身体を支えての【立位】訓練、
そして身体を支えながらも歩く【歩行】訓練。
――こういったPT(理学療法)を中心に行っていた。

(4)は入所できる期間は3~6ヶ月。最長の6ヶ月おいてもらえた。
退所の日に、次の入所の予約をした。
入所期間と同じ位、或いはそれ以上のインターバルが必要だった。
即ち、半年以上あかないと再びこの(4)療養型病床群に入所することは出来ない。

お呼びがかかった時、tomoは点滴をしていた。
本当に点滴が必要だったのかは、今思えば大いに疑問だ。
食事が食べられなかった訳ではなかったから。
点滴をしていると、療養型病床群では受け入れてもらえない。

 ・・・

近いから、頻繁に見舞いに来てもらえるからいい。
それにリハビリもコンスタントに受けることが出来る。
tomoはこの、リハビリにこだわった。向上・改善は図れないかも知れない。
それでも、今の状態を維持すること、少なくとも後退したくない。
そんな想いから、病院を選択する道は他になかった。
リハビリを諦めるなら、“待機期間”の長さ等のネックはあるものの、
特別養護老人ホームやその他、快適な療養生活を送る道は幾つかあった。
しかし、あくまで前向きにリハビリを受け続けたいと考えていた。
事実、tomoから「リハビリを受けたくない」と言うことは一度もなかった。
泣きながら、泣き叫びながらでも、苦しみながら、苦しみ抜いてもリハビリを受け続けた。

単なる噂だと思っていた。思い込もうとしていた。早死にするだなんて。
そんなことがある筈ないと。
(5)慢性期病院だから、死ぬまで居られる(?)病院だから、
だから死に接する機会が多いだけで、「寿命」自体が縮む筈がないと。縮められる筈がないと。

誰かが言っていた。
入院期間が1年を超えると、儲からなくなると。
病院もアパート・マンション経営と一緒で、“回転率”が大事だと。
より多くの人を受け入れ、より多くの人に出て行ってもらうのがいいと。
出て行く一番理想のパターンは“死”だ。これはアパート・マンション経営とは違うけれど、
死と隣り合わせにある病院ではむしろ、一番オイシイと。
天使”になる前、様々な検査・治療・薬……。そして“天使”になる時、
天使”になってから、次の行き場所を・・・(p-音)。

この病院を選んでしまった。

(いつかに、続く)
市役所から、『○福 重度心身障害老人等福祉助成券』が送られて来ました。

有効期間:平成18年8月1日~平成19年7月31日

自己負担金:「有」ないしは「無」

 自己負担金が有の場合には福祉医療費助成条例別表に定める以下の自己負担金が必要です。
 入院:1日当たり1,000円(限度額:月額14,000円)
 通院:1診療報酬明細書当たり500円(ただし、調剤報酬明細書には適用しない)

 → tomoの場合、既に昨年から自己負担が発生していました。
   それにしても、どんどん改悪されていく、、、高齢化率が高まって仕方ないと言えばそれまでですが。

イ 県内の医療機関で受診されるときは、必ずこの『○福 重度心身障害老人等福祉助成券』を健康保険被保険者証と一緒に窓口に提示してください。

 → 毎年変わっていくというのは、とても面倒です。
   制度が毎年変わっていくからやむを得ないと言えばそれまでですが。

ウ 県外で受診された場合は、医療機関発行の領収書(保険点数が記入されたもの)等により別途手続きをしていただくと、医療費をお返しします。

 → 県外(中部地方)で入院中は大変でした。
   一旦支払って、後日申請して、更に後日返還される。

エ 健康保険の変更、住所の変更、市外への転出といった異動がありましたら、この福祉医療費受給券を添えて市役所保険年金課、○○支所または各出張所にお届けください。

 → tomo死亡のため後日返却します。

オ 入院時の差額ベッド代、食事代、薬のビンや袋代等の保険外診療分については自己負担となります。

 → この保険外診療分の負担が病院によってまちまちで、しかも保険診療を遥かにうわまっている。

 市町村の実情を踏まえるとやむを得ないとは思いつつ・・・

------

tomoの従妹から「ゆうパック」。
叔母が昼間に覗きに来てくれた。近くの銀行の方が「線香」を持って来てくれた。

【告別式】の後、会場で初七日をやったため、今日は簡単に。
aki(弟)夫婦と3人で行う。

風邪でふらふらのtoshiは、あまり声が出せないため、
心でお経を唱える。

心配して、お弁当を作って来てくれた。
「病院に連れてったろうか」と言うakiに対し、
「病院の待ち時間が耐えられんし、寝てたら治るやろから」と答える。

寝床を引いて寝る。。。
感情的”に【】を受け入れられない部分は確かにある。
死んで欲しくない、死ぬはずがない、と言った感情――
これは故人の近親者なら、誰でも抱く感情だと想う。

しかし、今回の【】に関しては、“仕組まれた感”を非常に感じる。
この病院でなければ、先ず死ぬことはなかっただろう。

“争う”かどうかは、今、決める必要はない。しかし
あんなに一所懸命だったのに…

赤々と燃えて、燃え尽きるのではなく、
すーっと透明になっていく・・・
【想い出】が尽きない日/最愛の人へ...

長い長い“闘い”お疲れ様でした。あなただからこそ、“闘い”続ける事が出来た。

これからはゆっくりゆっくり、身体(からだ)も心(こころ)も“休めて”下さい。

これからもずっとずっと、見守っていて下さい。支え続けて下さい。

ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…… “いたらなさ”でいっぱいです。

ありがとう、ありがとう、ありがとう・・・・・・ “感謝の気持ち”でいっぱいです。
答えは分かっているけれど、
ここにいれば、殺される。そう感じる。強く感じる。

何とか脱出(転院)できないか?

こんな病院を野放しにしていていいのか?
必要悪なのか?
行政に責任はないのか?

(続くか?)
ただいま準備中なんです。
ひたすら眠る..。

声を掛けても、揺すっても、さすっても、瞼を開こうとしても、ひたすら眠り続ける。

今日もまた、何も食べていない。

今日もまた、38.7度の熱......

今日は更に、口の中が切れて切れて傷だらけ。

遂に一度も目を開けず、当然の事ながら会話もできず、、、、  、、    、

大きく腫れ上がった手と肘を持って、腕の曲げ伸ばし・回転と
体交(体位変換)のお手伝い。
               コレクライシカデキナイ。

カイワガシタイ。モットモットハナシタイコト、キキタイコトバカリ
家を建てることが出来ていない。アレモコレモ出来ていない事バカリ...

心配バカリカケテキタ・・・

  苦労バカリカケテキタ・・・

     コンナコトデ人生オワリニシタクハナイ
不謹慎ながら、このまま亡くなってしまいはしないか?と非常に心配になっています。

5月下旬に引いた風邪が、一旦良くなりかけるも、先週からおかしくなっている。しかも深刻な状況に。

熱が38.6度とか、かなりの高熱。
そのせいなのか、クスリのせいか、解からないが、何を云ってるのか、理解できない。
一生懸命理解しようと努めるが、解からない。判らない。分からない。
まるで、【認知症】の初期症状のようだ。

しかも、許し難いことが。

(続く)

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